近畿建築士会女性部会主催の見学会で南大阪教会を見学させて頂きました。
はじめに、尾島牧師より教会のことと建物のことについてお話しいただきました。
こちらの教会は1926年に設立され、建物は1928年に当時まだ駆け出しの村野藤吾氏設計で建てられ、その後、老朽化により1981年に建て替えられたものが現在の建物です。村野藤吾氏の晩年の作品になります。53年の時を経て同じ設計者によって設計されることも珍しいことと思います。
天井には板の仕上げによる大きな十字架がかたち作られています。
礼拝堂は曲線の壁で構成されており、自然光で正面を照らす工夫がされています。
正面の舞台には天窓もあり、楕円にくり抜かれた天井から光が拡がり正面の壁全体を照らしています。舞台の壁側面にも縦長の窓が舞台に向かって配置されており横方壁を照らしています。舞台まわりの窓は座席側からは見えないように工夫されています。
信者が座る座席側の両側にも建て窓が3つずつありますが、広さの割には自然光の明るさの少ない設計です。村野氏は洞窟で祈りを捧げるイメージで設計されたとのことで、コンセプト通りになっているというお話でした。
この模型は1928年に建てられた初代の教会の模型です。
駆け出しの村野氏に設計を依頼した経緯についても尾島牧師がお話しくださいました。教会を創設した当初、信者の中に早稲田大学卒を卒業した方がおられて、早稲田出身の若い建築家が居てるので依頼してみてはどうかという話になり、村野氏にお願いすることになったとのことでした。
教会を建て替えをする頃には村野氏は著名な建築家になっていたので、費用的にもとても依頼できないだろうと思われていたそうですが、氏の設計した初代の教会を建て替えることのご報告も含めて相談されたところ「この教会は自分にとっては長男みたいなものだから」と2代目の設計もお引き受け頂けたとのことです。とても愛着を持っていただけていたとのことでした。
建て替え後の計画では、初代の教会に一体になって建っていた塔を本体と切り放して残すことにされたとのことです。
とてもシンボリックで素敵な塔です。この通りを車で通ったことが学生の頃から何度もあり、とても気になっていました。(今回訪問することが出来て念願が叶いました。)
尾島牧師は、この塔をわざわざ切り離してまで残された理由について当時建築委員会に関わられた方などにお尋ねになられたそうですが、みなさん口を揃えたように「当たり前のこと」とおっしゃられたそうです。
この塔を残すのは当たり前。それぐらい皆様に愛されていた建物だったのでしょう。
見学会ではA3のクリアファイルに入った図面数枚を頂きました。詳細が描かれた断面図・展開図もありとても貴重な資料です。
あえてA3のクリアファイルに入れてお配り頂いた理由は、この素晴らしい図面を製本していつでも見返せるようにして頂ければとのご担当者の配慮でした。そのお気遣いが大変嬉しく、帰宅後すぐに製本しました。村野氏の仕事の痕跡を身近に感じることが出来、有難い限りです。