奈良県建築士会の建築士サロンが天理支部主催で開催されました。
天理市には写真のような千鳥破風、高欄が付いた外廊下、窓枠などに朱塗りがされている特徴をもつ建築物がたくさん建っており、一種独特な雰囲気を持つ宗教都市です。初めて訪れた方は驚かれることと思います。
おやさとやかた構想
この特徴的な建物は「おやさとおやかた」と呼ばれているそうで、神殿を中心に八町(約870m)四方をこのような建物で囲む「おやさとやかた構想」が1954年に計画され、現在も進行中とのことです。

他に類を見ない独特な意匠。

この建物は天理大学の一部ですが、下を道路が走っていて一般道路として車で通り抜けることができます。
この写真はグーグルマップですが、天理教教会本部を囲う四周に部分的にのこぎりのような屋根がみえますが、これらの建物がおやさとやかたです。おやさとやかた構想は四周全体を68棟の建物で囲む計画で、そのうち28棟が現在完成しているそうです。1954年から始まりかなり長期的でかつ都市計画のような構想で、完成までのロングスパンがサグラダファミリアのようだなと思いました。
(上の写真はこの地図の一番下(南)の天理大学付属天理参考館と書かれている建物です。)

界隈の特徴として、写真のような煙突がところどころに建っています。
以前、千人風呂というのがありお風呂の煙突も立っていたのですが、あちこちにお風呂があるということも無いでしょうし不思議に思っていたのですが、空調ボイラーの煙突とのことでした。写真の2本立っているところは右が空調ボイラーの煙突で左は給水塔とのことでした。給水塔はあえて意匠を揃えたとのことでした。

こちらは天理高校です。
内田祥三氏の設計で昭和12年(1937年)に建てられたものです。当時の計画ではこの隣側に同じ意匠の建物を2棟、向かい側に3棟、合計6棟を建築する予定だったそうですが、戦争の影響で中止になったとのことでした。
また、この建物の屋根には千鳥破風が付いていますが、その後のおやさとやかたの千鳥破風の原点はこの建物の意匠にあるそうです。

中心施設である神殿・礼拝場、教祖殿、祖霊殿を見学・参拝させて頂きました。
写真は東拝殿の入口です。帰るころには日が沈み、照明がついていました。天理教は24時間いつでも誰でも参拝できるそうです。

本殿を見学させて頂く前に、天理教の歴史とそれに伴う普請の歴史の話をお聞きしました。
天理教はいまから約180年前(1838年天保9年)に、教祖中山みき氏が神のお告げを受け41歳で立教され、布教活動を行いながら明治8年(1875年)に「ぢば(地場)」を定められました。じばとは、混沌とした世の中がより楽しい世界になるようにと神様が男女の人間を想像されたその場所ということです。
このじばが神殿の中心にあり、じばのところには「かんろだい」という塔状のものが据えられています。信者のみなさんはこのかんろだい(じば)に向かって座り、祈りを捧げられていました。天理教は全国に教会がありますが、全ての教会がじばの方向に向けて建てられているそうです。
かんろだいの図(天理教HPより)

かんろだいは6角形の高さ約2.5mの塔で、本来は石でつくられていたそうですが現在は桧でつくられたものが据えられています。途中の細いところも含めて全て分離されたもので、中心部のホゾでのみ固定されているとのことでした。
作り替えの時に下の一番大きなサイズの桧の芯去り材(無節)がとれる木を探すのに大変苦労されたとのことで、ほうぼうの山まで木を探しに行かれたとのことでした。
天理教は県境に林業地に山を持っているそうで、普段の普請に使うものは常時出てくる間伐材を使われているとのことで、材は全て桧とのことです。
このかんろだいのまわりには手摺状の柵が設けられておりその手前から拝むことが出来ますが、かんろだいは神殿の床より低い地面の位置に据えられています。かんろだいの真上は屋根の一部に穴があいていて雨の日は雨が下まで落ちてきて地場の周りが濡れています。雪の日は雪が積もることもあるそうです。
見学会では回廊をまわり北に位置する教祖殿(教祖のお住まい。教祖はお姿が見えなくてもいまなお存命のままとのことで、住まいとして必要なものは全て揃えられているそうです。)や、祖霊殿もお参りさせて頂きました。
天理教での普請は「仮屋普請」と教えられているとのことでした。
仮屋普請とは「雨風をしのぎ暑さを除ける程度の簡単なもので、今日建てて明日取り払い、また建てるというくらい晴れやかな気持ちで取り組むこと」とのこと。人間の生活のようにその時々の状況に合わせて付け足し、作り替えていくことを理想とされています。あまり作り込まず、簡素にしておくことが肝心とのことでした。
かんろだいを中心に据え、たたみ3000畳以上ある広々とした神殿は、大変見応えのある立派な建物ですが、つくり込み過ぎず華美になり過ぎないような精神が感じられます。
度々増築などを重ねてこられていますので、過去の普請の写真なども拝見しました。大勢の信者の方が棒に土嚢などを下げて運搬の奉仕作業をされている写真や、建物を一時的に曳家で別の場所に動かされている航空写真、昭和9年の神殿南礼拝所の建設時には材を運ぶために敷地まで線路が引き込まれている写真も拝見しました。
また、この地に教会を作り始めた当初より、電気供給(発電設備)、水道供給(井戸水を利用した設備)は自前で行われているそうで、現在も続いているそうです。天理市内には教会以外にも各地方から来られる方向けの詰所とよばわれる宿泊施設がたくさんありますが、そちらにも供給されていることと思います。
天理市は1954年に山辺郡丹波市町を中心に磯城郡、式上群、添上群の町村が合併し、天理市として発足しましたが、この「天理」の名前の由来は天理教の宗教名です。天理という地名のところに本部のある宗教だから天理教なのではなく、天理教のあるところだったから市の名前が天理市になったということです。町名なら、なんらかの施設に由来するようなところもありそうですが、宗教名が市の名前になるのは珍しい事のように思います。そういう意味でも立派な宗教都市です。
今回の見学会でご案内くださったのは建築士会天理支部の会員の方で、天理教の営繕部にお勤めでご本人も代々天理教信者とのことで天理教の話も詳しく説明してくださいました。建築単体や普請の話ではなく、宗教建築としての根本的なところがよく分かり理解が深まりました。
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